年鑑号の第1号は1966年4月に発行されました.
この1966年の年鑑第1号, 及びその後の10年毎の1976年, 1986年の年鑑号を丸ごと1冊掲載しました.
さらに, 1966年から10年遡った1956年1月発行の展望記事特集も併せて掲載しました.
当時の技術を年鑑号を通してご覧いただければと思います.
1949年, GHQが乗用車生産の制限を解除, その後日本経済・産業の統制緩和が進む中, 1950年朝鮮戦争が勃発, 膨大な「特需」による好景気は自動車需要を一気に高めました. 1954年の第1回全日本自動車ショーの開催, 1955年には国民車構想なども打ち出され, 日本の自動車産業飛躍の基礎が形作られました.
1960年の「国民所得倍増計画」に誘導された日本経済・産業の発展に連動し, 1960年代半ば以降, 日本の自動車産業は, 世界の自動車生産の一角を占めるまでに成長しました. 大衆車が登場し, また高速道路の建設も始まり, 本格的なモータリゼーション時代が幕を開けました.
1970年代に入ると, 交通事故死亡者の増加や, 排ガスによる大気汚染が大きな社会問題として浮上してきました. こうした中, 米国マスキー法規制に適合するCVCCエンジンが1972年に発表され世界に衝撃を与えました. また, 1973年の第1次オイルショックによる石油価格の高騰を背景に, 燃費の良い日本車がこの時期米国市場で大きく販売を伸ばしていきました.
日本車は,燃費の良さに加え,「よいものを安くつくる」生産システムが普及, 圧倒的に強い国際競争力の下, 1980年には自動車生産台数が世界第1位となりました. しかし, 急激な輸出の拡大は世界各地で貿易摩擦を引き起こします. 日本の自動車メーカは現地生産に乗り出し, グローバル産業への転換が図られていくことになります.